こんにちは。やすひろです。
できる人はしているけど、できない人はしていない、たった1つのこと。それは、
できないを素直に認めること
テスト直前。いつも高得点をとってくる生徒。テスト勉強していて、解けない問題に直面したとき、どういう反応をすると思いますか?その反応とは
全然わかりません
とできない自分を素直に認めるのです。昨日の授業中もそうでした。
できる人ほど、自分ができていないことを認める。できていない人ほど、自分ができていないことを認めない。
— やすひろ@ただの塾講師 (@Karisuma_Jukuko) November 27, 2021
高得点をとる生徒は、できないことをおそれません。だから、できないことを素直に認め、『それをできるようにすればいい』と考えるのでしょう。
逆に点数が伸び悩んでいる生徒は、できないことを認めない傾向にあります。ちょっとミスっただけなどの言い訳をしがちです。間違えた理由をすべてミスのせいにしている傾向もみられます。
わからなくてできなくても、ミスのせいにしているようでは、点数が伸びてくることは考えにくいでしょう。まずはできない自分を認めるところからスタートですね。
教師も不安になる?
いつも高得点をとる生徒が、テスト前にできない問題があると
あの生徒、今回のテスト大丈夫だろうか?
と不安になることがあるかもしれません。しかし、その心配は一切必要ありません。わたしはいつも
テスト前にできない問題を指導できている
と自信を持っています。ただ、問題のセレクトには十分配慮しています。生徒ができない問題を用意するのは簡単です。入試問題をセレクトすればいいのだから。それは危険です。
いくらいつも好結果を残す生徒だとしても、難問ばかりやっていては、心が折れてしまうかもしれません。心が折れてしまえば、うまくいくものもうまくいかなくなってしまいます。
その生徒ができそうでできない、かつ試験によく出そうな問題をチョイスすることが大切なのです。その感覚は、たくさん問題を解いていくことで養われるていきます。
こっちのほうが問題
テスト前に、高得点をとる生徒が退屈そうにしているほうがよっぽど問題なのです。ただし、何度試験をしても、必ず満点を取ってくる生徒は別ですが。
テストで満点は別格なのです。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
生徒にとって簡単すぎる問題をやるのは、百害あって一利なしだとわたしは思います。それだったら、他の勉強をしたほうがいいと思うのです。
一時期サッカーの日本代表が、ワールドカップ直前に、日本の大学生選抜と調整試合をしていた時がありました。これも何の意味があるのでしょう?
日本代表にとっては何の意味もないでしょう。なぜなら、ワールドカップで戦う相手は大学生選抜より圧倒的に格上だから。むしろ、大学生選抜と試合することによって調整がくるう危険性すらあります。
効果があるのは、大学生選抜の方でしょう。今まで通用していたことが通用しない可能性があるのだから。試合後に大きく成長する可能性を秘めています。
これは生徒たちのテスト前にも言えるでしょう。その生徒にとって簡単な問題ばかりやらせていては、知らぬ間に油断してしまうでしょう。
だから、わたしたち教師は、自分が信じて用意した問題を、生徒が解けないからといって、難易度を下げてはいけません。それをできるようにするのが、わたしたちの仕事なのです。
基本は優しく、ときには厳しく
今の時代は、優しい指導、生徒に寄り添う指導が望まれているのは十分わかっています。しかし、わたしは、優しさ100%で指導したら、確実に生徒になめられてしまいます。
なめられるのは、そんなに良くないことなのですか?
甲子園常連校の監督が選手になめられていることがあるでしょうか?わたしはないと思うのです。それが強豪校の一端を担っていると思います。
わたしの理想は
70%優しく、30%厳しく
生徒になめられなくなるには、厳しさも時には必要だと思っています。ただし、理不尽な厳しさでは生徒はついてきません。わたしの厳しさの根幹は、『できるようになりたければ、できないから逃げるな』ということです。
できるようになるには、できない自分を素直に認めることが、はじめの一歩だと思うのです。できるようになりたければ、できないから逃げるな。そのできないを素直に認めよう。そしたら、できる未来があなたに待っています。
最後に
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