定期テストで100点は別格です。

こんにちは。やすひろです。先日生徒から

生徒A
生徒A

先生は定期テストで100点をとったことがありますか?

と質問されました。わたしは正直に

やすひろ
やすひろ

とったことないな

と答えました。わたしが指導している校舎では、今回も定期テストで100点をとってきた生徒がいます。純粋にすごいなと思います。わたしは定期テストでの100点は別格だと思っています。

その理由は

①出題範囲を完璧に勉強できている
②ミスをせずに正確に解けている
③運

この3つのうち、わたしたちが確実にできるのは、完璧の定義を自分基準にした①だけでしょう。100点をとる生徒と、80点をとる生徒、50点をとる生徒では完璧の基準そのものが違います。だから、毎回テスト後に

生徒A
生徒A

せっかく頑張ったのに・・・

と結果の悪さに対して不満を言う生徒がいるのです。そういう生徒には

今回キミががんばったことは認めよう。次回は、がんばったの基準を高めてみよう

とアドバイスしています。

生徒A
生徒A

どうやって、がんばったの基準を高めたらいいの?

自分より点数が高かった友達にどうやって勉強しているかを聞いてみるといいとアドバイスします。もちろん、それを受け入れて実行することが大切だと強調します。定期テストごとにそれを続けていけば、別格の100点に近づけます。

ミスをしないのは才能

定期テストで100点をとるうえで、ミスをしないことは重要な要素です。わかっているのに間違えたそんなことをしていては、100点は夢物語になります。

でも定期テスト本番で、ミスしようと思ってミスする人はいないでしょう。真剣にやってもミスは起きてしまうのです。

ヒトは適度な緊張感をもって1000問の計算問題を解いても、必ず3問の計算ミスをしてしまいます。つまり、ヒトは0.3%の確率でミスをしてしまうのです。

定期テストに100問出題されたとしたら、ミスする問題は0.3問。つまり、1問に満たない。だったら、100点取れるのでは?どうやらそんなことはないようです。

テストの結果が判明してから生徒たちに感想を聞くと

生徒A
生徒A

この問題をミスした

という発言を聞かないことはありません。確率でいえば0.3%しかしないミスを、ありえない確率でおこしています。

なぜミスはおきるのか?その答えはシンプルです。

やすひろ
やすひろ

ミスしたの定義が間違っているから

たとえば

計算ミスとひとことで片づける
本当はわかっていないのにミスで片づける
正答は4㎝で、自分は3㎝と解答したのもミス
4択問題で正答はイ、自分はウと解答したのもミス

後半の2つは少しふざけているかもしれませんが、「オシイ」をすべて「ミス」ととらえている生徒は少なくないと思います。まずはその認識を正しましょう。

やすひろ
やすひろ

ミスではない、間違いなのだ

わたしは持論として、勉強をすればするほど勉強運が上がると思っています。定期テストでも、初めて見るような問題が出題されることもあります。100点を目指している生徒には強敵の問題。

俗にいう100点阻止問題。それらを撃破するのは日頃培った勉強運。運がいいなと思うのは

生徒A
生徒A

きっとこうだろう

と思って解き進めていったら正解してしまった場合。適当な答えを書くのではなく、自分なりに考えて書いた答えがことごとく正解する。これがわたしのいう勉強運です。

生徒A
生徒A

ぼくもそれに賭ける!

忘れてはいけません。勉強運が味方するのは、かなり勉強をしている人のみです。勉強もせずに勉強運に期待するのはやめておきましょう。

勉強運がある人がさらに勉強運に恵まれるようになるのは、

生徒A
生徒A

この問題はたまたま解けただけ

と思っているからです。つまり自分の実力ではない。運がよかっただけ。正解してもそう思っているのです。そしてテスト後にしっかり見直す。できるようになるわけです。

100点は別格

わたしは定期テストを控えた生徒たちによく言う言葉があります。

100点をとってこいとは言わない。でも、90点以上はとってこい。

100点と99点。点差はたった1点だけど、その間には点数以上の大きな差があると思うのです。何せこのわたしでも、99点はとったことがありますから。

ある程度ミスしても、運に恵まれなくても、90点以上は取れると思うのです。だから、わたしは90点以上はとれるように勉強しようというのです。

100点じゃなきゃダメだというのも1つの価値観としてアリです。わたしは、90点以上を目指した結果、100点がとれたというのが理想です。

100点は別格なので、狙ってとれるものではないとわたしは思っています。

最後に

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