こんにちは。やすひろです。
最近、塾の役割について考えさせられることがありました。わたしの考える塾の役割とは
塾ってのは、知らなかったことを知ってもらったり、できなかったことをできるようになってもらう場所だと思ってる。知ってる、できるが前提条件なら塾に通う意味なんてない。
— やすひろ@チャレンジおじさん (@Karisuma_Jukuko) July 12, 2022
塾はその悩みの解消をサポートする場所
目の前で起きていることが真実
今朝の天気予報では降水確率は0%であったとしても、今目の前では雨が降っている。その時あなたはどう思いますか?
今朝の天気予報では雨なんて降らないといっていた
と言って、目の前で降っている雨を認めず、傘も差さずにびしょぬれになって歩き続ける人はいるでしょうか?
大半の人は、今朝の予報がどうであれ、目の前で雨が降っていたら、雨が降っていることを真実として認め、受け入れるでしょう。
それは塾でも同じだと思うのです。目の前にいる生徒が、勉強で困っているのであれば、それを真実として受け入れましょう。
たとえ、高校生で通分ができなかったとしても。高校生でアルファベットの小文字が怪しかったとしても。高校生で作文がほぼひらがなだったとしても。
目の前の生徒につきつけられた真実を見て、わたしたち塾講師は
塾に通う以前の問題
とは決して言ってはいけないのです。それを何とかするのがわたしたち塾講師の仕事だからです。
見て見ぬふりをしてはいけない
なぜ高校生にもなって通分ができないのでしょうか?その原因の大半は、生徒本人にあるのは言うまでもありません。
でも、その生徒は
このままではマズい
と思って、塾に通う決意をしたのです。それなのに、わたしたち塾講師が
高校生なのに通分すらできないのか?
と言って、バカにした態度を取ったり、見て見ぬふりをしてはいけないのです。あなたがする仕事はたった1つ。
その生徒に通分をマスターさせること
ただそれだけです。わたしたちは、生徒ができなかったことをできるようにさせることが仕事です。あなたがいくらなげこうが、その高校生が通分ができないのは真実です。
だったらそれを受け入れて、どうやったらその生徒が通分ができるようになるかを考え指導するべきなのです。
学年で考えるな
通分なんて小学生の内容ではないか!
と考えるからおかしくなるのです。どの学年で習うかなんて関係ないのです。
要は目の前にいる生徒ができるかできないかただそれだけなのです。
小学生で習うことは、中学生になったらできる。
もしそうであれば、塾そのものの存在意義がなくなる。
なぜなら、学年が進むだけで自動的に学習内容がマスターできるということになるから。
でも、すべての生徒がそうであるとは限りません。
小学生の内容でも、できない高校生は確実に存在する。
それを
高校生がやるべき内容ではない
と指導拒否するのは、塾講師としては職務怠慢です。
学年なんて関係なく、勉強面で生徒が困っていることを解消することが塾講師の仕事なのだから。
配当学年の内容しか指導したくないというのであれば、学校の教師になりましょう。
残念ながら、塾講師には向いていないと言わざるを得ません。
塾では安心を売ってない
わたしが授業中によく生徒に言う言葉の1つに
塾では「知ってる・できる自慢」は必要ない
があります。塾でその日に学習したすべての内容が、その生徒にとって「知ってること、できること」であれば、その生徒がその日、塾に来た意味はないと思っています。
わたしの考える塾の役割とは
できない を できる
に変える場所だと考えています。
だから、最初から、「知っている、できる」の状態であれば、塾に通う必要なんてないのです。
誤解しないでください。わたしが言いたいのは、すべての塾に通う必要がないと言っているのではなく、その塾に通う必要がないということです。
塾と言っても、補習塾もあれば、進学塾もあります。塾の種類同様、レベルも様々あります。自分がどのレベルにいるのかを考えて塾を選ぶようにしましょう。
1つの目安としては、授業を受けてみて「知っている、できる」ことばかりの塾は選ばないようにしましょう。また、通っていてその状態になったら転塾を考えましょう。
わたしが、声を大にして言いたいのは
塾では安心は売っていない
ということ。だからこそ、「知っている、できる自慢」は必要ないのです。
塾に通う目的は、何か1つでも新しい学びがあること。だからこそ通う意味があるのです。
もし、安心のために塾に通っているのであれば、その塾通いはムダになってしまうかもしれませんよ。
塾には安心は売っていませんから。塾に安心を求めてはいけません。