こんにちは。やすひろです。
わたしは塾に通っている生徒に
今、学校の授業は何をやっている?
と聞くことがよくあります。
学校の進度に合わせて指導しているので
学校の進度を無視して
指導するわけにはいかないからです。
わたしが期待している答えは
今、Lesson2-1です
のように具体的な進度、単元です。
しかし、生徒の中には
教科書を使っていないからわからない
教科書を使わない問題はさておいて
教科書は使用しなくても
さすがに授業はしていると思います。
その内容くらい覚えておいてほしいですね。
さらにひどい例になると
あの先生、説明が下手すぎて何を言っているかわからない
と聞いてもいないのに
教師批判をしはじめる生徒もいます。
今回は
『あの先生、説明が下手すぎて
何を言っているのかわからない』
は果たして本当なのか?
これについて考えていきます。
わたしがした検証
わたしは今
複数の校舎で同じ教科を指導しています。
『あの先生、説明が下手すぎて
何を言っているのかわからない』
という生徒はわたしの担当生の中にもいます。
わたしはある検証をしてみました。
その検証とは
① 別の校舎で生徒に複数質問をしてみる
② その中で正答率が高かった問題を見極める
③ その質問を他の校舎にいる 『あの先生、説明が下手すぎて何を言っているのかわからない』という生徒にぶつけてみる
結果はどうだったと思いますか?
検証例はわずかですが
ほぼ100%の確率で
その生徒たちは答えられませんでした。
その生徒たちからしてみたら
やすひろ先生、説明が下手すぎて、何を言っているのかわからない
となっているのでしょう。
その可能性は否定できません。
でも、他の大半の生徒は
わたしの説明で理解できているのです。
それは他校舎で一応検証済みなのですが…
自分に原因があるとは思ってない
率直に判断して
わたしは理解力は低いほうだと思います。
先日も電話で丁寧に
説明してもらった内容が
まったく理解できませんでした。
会社の会議に参加して
真剣に話を聞いていても
大半の内容が理解できません。
だからといって
『彼らは説明が下手すぎて
何を言っているのかわからない』
とは言ったことはありません。
わたしは自分が理解できなかった現実を
相手の説明能力のせいではなく
自分の理解力のなさが原因だと自覚しています。
だから
自分でも理解できそうなことは
理解できるまで質問します。
だから
自分ではわからないと思ったことは
素直にあきらめます。
自分の理解度は自分が決めるのです。
相手によって左右されてはいけません。
説明が下手ともわかっていない
わたしは
あの先生、説明が下手すぎて何を言っているかわからない
と言っている生徒の大半は
その先生の説明が上手か下手か
正確に判断できているとは思ってません。
見知らぬ土地で
ラーメンが食べたくなった時
あなたはどのラーメン屋を選びますか?
おそらくネットで検索し
レビューを読み込むでしょう。
そのレビューがいいラーメン屋を選ぶでしょう。
わたしなんかはもろにそうですが
そのレビューのおかげで美味しさがアップします。
つまり自分が感じたラーメン本来の味より
みんなの評価のほうが影響が大きいのです。
おそらく教師の評価も同じでしょう。
生徒個々人が教師の説明能力を
的確に判断しているとは到底思えません。
誰かから聞いた
みんなが言っている
それらが勘案されて
あの先生、説明が下手すぎて何を言っているかわからない
という意見に到達するのです。
この意見に到達する生徒の多くは
現在自分の成績に満足していません。
ひどい言い方をすれば
それを教師のせいにしている
とさえ思えるのです。
それではずっと報われない
自分の成績が思わしくないのは
教師のせいだと思うのは自由です。
でも、その考えを持っている以上
あなたが満足する成績を収める可能性は
限りなく低いと言えるでしょう。
なぜなら
原因は自分にあるから
仮に日本国内なのに
すべての授業がアラビア語で
おこなわれたとします。
本気で何を言っているか
何を教えてもらっているか
わかりませんよね?
だからといって
テストをしたらみんな0点になるか
といったらそうはならないと思うのです。
学びたい人は、どうやっても学ぶし
学びたくない人は、どうやっても学ばない
その差は如実に表れるのです。
あの先生、説明が下手すぎて何を言っているかわからない
とあなたが思うのは自由です。
大切なのはそう判断して歩みを止めず
他の方法はないかと模索すること。
すべては自分次第だということを
忘れないでほしい。
最後に
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