こんにちは。やすひろです。
板書をしていくから、ノートに書きなさい
と生徒に指示する教師は多くいるのではないでしょうか。
果たしてその指示、何の意味があるのでしょうか?
板書をノートに写す意味
板書をノートに写す意味があるのは、生徒がそのノートを見返すことはあるかによって決まります。
生徒たちがそのノートを見返して勉強するのであれば、板書をノートに書き写すことは大切でしょう。
しかし、
生徒が二度とそのノートを見返さないとしたら?
生徒が板書をノートに写す意味ってあるのでしょうか?
わたしにはその必要性がまったく感じられないのです。
板書をノートに写す必要がない理由
見直さないのに、板書をノートに書く理由を説明できる人、説明をお願いします。
— やすひろ@ただの塾講師 (@Karisuma_Jukuko) March 28, 2022
板書をノートに写す必要性に疑問を感じるのは、生徒たちが二度と見返さないから以外にもあります。
その理由とは
ほぼすべてテキストに書いてある
これだけ情報化が進んだ社会において、その教師しか知らないことなんてほとんどないと思うのです。
だから、教師が板書している内容のほとんどは、テキストに書いてあるでしょう。
あなたが復習しようとしたとき、テキストと、自作のノートどちらを選択しますか?
わたしは
何があってもテキストです
理由はシンプル。テキストのが間違っている可能性が低いから。
いくら正確に覚えても、その情報が間違っていたら何の意味もありません。
正確にアウトプットするには、正確なインプットは必須条件です。
あなたは、板書をノートに写させないのですか?
わたしは、ノートに書きたい人は書けばいい。
テキストに必要なことだけメモしたければそれでもいい。
全部理解しているから書かないというのも、それはそれでいい。
わたしは、説明のために板書をします。
それをノートに写すかどうかは、生徒たちが目的意識をもって自ら判断すればいいと思っています。
板書をノートに写すことを強要される生徒
そういう立場をとるわたしでも、板書をノートに写すことを強要する生徒がいます。
それは、
居眠りしそうな生徒
わたしは、寝るくらいなら、「板書をノートに写しなさい」と言っています。
塾に来て一番無駄なことが寝ることだとわたしは考えています。
だから、ただ話を聞いているだけよりは、手を動かすことで居眠り防止になると思っています。
思わぬ副作用
わたしは、学年が進んでいくうえで必須になるスキルは、字を書くスピードです。
字を書くスピードが遅いのは致命傷になりかねない。
— やすひろ@ただの塾講師 (@Karisuma_Jukuko) March 23, 2022
わたしは、頭の中だけで解くよりも、字を書いたほうが早く解けると考えています。
そう生徒たちにも伝えています。しかし、例外の生徒もいます。
それは、字を書くスピードが極端に遅い人。
イメージとしては、板書を写しているときに
まだ消さないでください
という生徒。
そういう生徒にわたしが言うのは、
わたしよりはやく書けるようにしなさい
わたしはまずまず書くのは早いほうだと自負しています。
字を早く書くためには、字を早く書こうという意識を持つことからはじめたほうがいいと思うのです。
そして、板書をノートに写すのはその練習。
字を早く書けるようにならないと、いつまでたっても、試験時間が足りないという悩みが解消しません。
板書をノートに写す。その作業にいったいどんな意味があるのだろうか。
見返すのが目的であれば写真を取ればいい。
わたしには効果的な意味が見いだせない。
板書をノートに写す理由について持論をお持ちの方は、コメントお待ちしております。
勉強させてください。よろしくお願いします。
まとめ
今回は見返さないノートを書くのは何のためという話をしてきました。
- 二度と見返さないならノートを書く必要はない
- 板書の内容は、ほぼすべてテキストに書いてある
- ノートに写すように強要されるのは眠そうな生徒
- ノートに写すことで字を書くスピードが上がる
板書をノートに写すことが、しっかり授業を受けることではありません。
ノートを書くことに集中して、話を聞いていなければ意味がありません。
板書内容はテキストに書いてありますが、話の内容は授業中にしか聞けません。
ノートを必死に書くことよりも、塾講師の話を聞くことに集中しよう。